コラム
高齢化社会に入って「ご葬儀やお墓づくり」に迷わないために
お寺が嫌いな訳と誤解(風評)
≪坊主憎けりゃ袈裟まで憎い≫という100年以上も昔から言い伝えられていることわざがあります。お寺が嫌いになった原因のいくつかをまとめてみました。 またそういった風評のため全然勘違いする人もいます。判断材料にしてください。
1.管理費が高い、
2.寄付がある。法外な寄付を要求された。
3.戒名料が非常に高い。
4.葬儀料が非常に高い。
5.年間の付き合いが多すぎて大変。
6.やたらと威張りたがる。
およそ以上な点に集約されると思います。
1の管理費は確かに公営霊園などの年間管理費(数千円)から比べると若干割高となります。お寺の年管理費は1万円〜2万円です。 これも郊外の都立霊園などに行く交通費を考えれば妥当な金額かもしれません。(お墓の掃除代までも入っている場合が多い) 都立霊園などは墓域内の掃除代は入っていません。
2.寄付がある、多少の寄付はあることも、数年に一度、数千円〜数万円単位、これも出来る範囲内でが原則です。本山に瓦を寄付するためなどとしてお寺が檀家に。 ただし法外な寄付を要求するというお寺は弊社にはない。
理由:法外な寄付が欲しいと言うお寺があるとしたら、できないと言えばいいのです。今は別のお寺に移ることも可能の世の中です。
3.戒名料は各お寺ごと違います。つまり住職によって違うということです。宗派によっても違う。べらぼうに高い戒名料のお寺は弊社にはありません。経済的に苦しい人には無料で付けて下さる寺もありますので。
4.葬儀料が非常に高い、そういったお寺があるのかどうかわかりません。弊社取引寺院では相談に乗ってくれます。10万円位〜100万円位幅があります。
5.お寺のお付き合いといっても基本的には年管理費を納めていれば墓所を使用する権利は失わない。 一般に私たちが現在お取引あるお寺でのお付き合いは以下の通りです。
イ. 春秋のお彼岸にはお墓参りしてください。
ロ. 浄土真宗以外のお寺では卒塔婆をお墓に供養してください。(1本、4000円前後)
ハ. 春から、夏にかけてお施餓鬼をしますから出席できる方はして欲しい(出席の場合は1万円ほど掛かる。寺と檀家皆で懇親会のようなもの食事代含むなど)
ニ. 法事はできることならやって欲しい(1周忌、3回忌など) 数万円御経料として包みます。(3万円〜)
ホ. お線香はお寺にあるので200円とか500円とかでお参りの際はご利用ください。お花は持ち込み自由なところほとんど。
ざっとこんな感じのお付き合いで、普段は手桶をお寺の水場でおかりし、花を入れ、お線香を求めお墓に行きお墓を水で洗い清めお花を活け、お線香をあげて 手を合わせ、手桶を元に戻しお墓参り完了です。
慣れればそんなに負担にならないと思います。
霊園を求めた仏教徒の場合もお葬儀、法事等の料金が変わりません。霊園に来てくれる僧侶はどなたが来るのか不明です。
遠い霊園だと別途お墓参りには交通費もかかりますことも念頭に。
6. 昔は結構いました。インテリは学校の先生か僧侶だった時代の名残で。今は特に東京の一般のお寺にはあまりいませんね。
(東京のお坊さんと地方のお坊さんでも違ってきますよ。)
霊園と寺院墓地との違い
霊園も各種あり
運営する団体・組織による。
1.公的な霊園 都営、県営、市営霊園などがある。 名実ともに宗教不問である。そのために設立された経緯がある。
2.財団法人が運営する霊園。 鉄道会社などの民間会社が最初は運営したが、後日財団に組織が変更したケース。
3.寺が運営する場合。 霊園を始めるにあたり、自治体はお寺等の公益法人にしか運営許可を与えません。寺とは離れた別地で霊園 墓地を分譲するケース。(霊園許可を取るため、お寺の名義を借りて申請する場合がある。後日もめる場合がある。寺と、開発業者と、利用者の3者が右肩上がりの経済ではウィン、ウィンでいいが、低成長で思惑がはずれて裁判沙汰になったケースが実際ある)
寺院墓地
1.各宗旨の教えにのっとり人々の苦しみを救い、境内墓地を檀徒・信者に一定の金額で譲る墓地のこと。
2.通常は境内地に霊園はつくらない、宗教不問にすると宗旨の教えには背反してしまう。 境内墓地を霊園だということはおかしいです。
3.お寺の永代使用料は本当はお布施なんです。金額に応じて墓地の面積も変わってきます。 だから少なくて済む寺とそうでない寺が出現します。
4.霊園墓地になくて寺院墓地にあるもの。それはどうやったらこの世を去る時に臨み穏やかにさよならするか、その後はどうなるのか。残された者の日常はどうあると生きて行きやすいのか等、法話をしてくれるのが修行を積んだ住職の役割。
霊園か寺院墓地か選ぶのは一番お墓を建てたい人(施主の人): 安心して下さい。あとでお墓の引越しもできますから。
※いいお坊さんのいるお寺の墓地と、遠い霊園の墓地とどちらがいいか、費用の掛からないお寺と、同じく費用のかからない霊園とではどちらがいいか。 お墓参りは距離がモノを言う。近いに越したことはありません。 ご夫婦で旦那様をなくすと奥様が普通は施主になる。施主のお参りできない遠距離の墓地は施主がかわいそうだと思うのが子の親への思いやり。 子の代で親の求めた墓地が嫌なら引越しもできるので安心して欲しい。 また霊園でもない境内地を霊園だというお寺の墓地はあとで入壇問題を引きおこす可能性がある。
戒名とは
江戸時代徳川幕府は一向宗でてこづったため、キリシタンもその可能性があるのではと規制を強化。 キリスト教を信ずることを禁止しました。 そこで、すべての日本人を寺に請け負わせて、つまり、どこかの寺の檀家にしてしまった。お寺は全ての檀家の誕生から死亡までを掌握、ちょうど今の役所の戸籍係の役目を担った。 幕府は天台宗の天海和尚などを顧問に日本中の寺の数を掌握、本山の管長の人事権を掌握しましたが、宗門の人事は管長に託したので宗門も都合が良かったのでした。 それまで、高級武士や、貴族、僧侶などが死後戒名を授けた習慣を当時の寺は一般庶民まで広げました。
戒名は序列があり、男性は ①大居士 ②居士 ③大信士 ④信士
女性は ①清大姉 ②大姉 ③大信女 ④信女
ご戒名料はお寺さんによって差がでます。 一番良いのはお元気なうちにお寺に顔を出し、和尚さんとじっくりお話しておけばそれ以上の安心はございません。 今は平成の世、和尚さんも相談に乗ってくれます。事情に応じて無料でご戒名を付けてくださるお寺もあります。墓地を求めた方にはただで付けてくれるお寺も少なくありません。 (その場合は④の戒名となりますが) そういう訳で当ホームページに掲載されいているお寺のご戒名料はびっくりするようなものではありません。(およその戒名料金を知りたい方はメールください)
縄文時代のお墓
仏教伝来・キリスト生誕前に既にあった日本のお墓。
茨城県桜川市にある紀元前数千年前のお墓。
お墓は頑丈に石積みで作られており現在にその姿を伝えます。
(なだらかな丘陵地の上部、日当たり良好、近くに水のきれいな湖沼を備えていました。)
当時は仏教やキリスト教が誕生する前ですが、我が国では既にお墓は作られていました。
お墓の継承における権利と義務
お墓を建てた最年少の方は25歳の女性(20年程前のお話)(1)
私の建てた最年少の方は25歳の慶応病院の独身の看護婦さんでした。小学校5年生の時亡くなったお父様。14年後父のために墓を建てました。夜勤をこなし、胸にせまる父思いのお嬢様でした。お父様も小学5年生までわが子を大事に育てて、将来を案じながらこの世を去ったのでしょう。立派に成長した愛娘にお墓の中のお父様は感涙したに違い有りません。
子供は親のお墓を継承する権利があるがお墓を守る義務はない。(現在のおはなし)(2)
(これで親は自由になれる。一人で自分の永眠地を探すことができる。)
現在菩提寺を地方にお持ちの方で老後も故郷に帰らないと決めた人は多くいらっしゃいます。こういった方はお近くの墓所を求めることになると思います。 最近、お墓を求めるに当たって息子さんや娘さんに意見を聞く親御さんが多くなってきました。 そして悩んでいす。
このことを禅宗の和尚さんにまた尋ねました。 教えて頂いたことは以下の通り簡潔なものでした。
お墓の継承について、求めた親の「子供は受け継ぐ権利はあるが義務はない」と言っておられます。 つまり、子供が親の求めたお墓を継承はできるが、お墓を守らなければならないという義務は発生しないとのことです。お墓とはまさに本人の問題だからでしょう。むやみに子供に期待しないことを言っているのかも。 (難しいですね。今は少子化だし、子に頼るなと言われても。でもお墓の本当の意味は今欲しい人の為であるということ。) 子供は育て具合。 病死した父の墓を大人になって作る娘さんもいるのですから。
親の苦しみを共有していた昭和の子供たち 上の(1)と(2)の差はどこから生まれるのでしょう。
今から20年以上前は子も控えめで、親の苦労を見て育った子供達は「お母様(お父様)が宜しければ良いじゃない」と距離を置いて口を挟む子は少なかったし、親のより良い追善供養の為、もっと広めの墓地に作り直した方も多くいました。'墓誌にはおかぁさんありがとう'などと、感謝の気持ちを刻んだ子もいる。

(子孫は自分達の気持ちが治まるように作り直すことも、またお墓の撤去・移動・放棄も可能なのです。昭和の時代は子が親の墓を良く建てました。)
お寺はご遺骨を供養しお守りする。これ以上の安心はないと言い切る東大卒の和尚さん。経済的に余裕ある方は敢えて納骨堂を求めなくても良い。残された方ご自身の生きがいとしてお墓を作り、お墓参りすれば良いとのこと。
子が例えお墓を守らない場合でも、お寺が責任をもってご遺骨をお守りするのだからそれ以上の安心はありません。つまり、ご遺骨や亡くなった方の霊をお守りするのは寺の務めであるから親はご自分の費用で求める場合、お墓はここにするからと子には告げ、子の顔色を必要以上に伺う必要はないとのこと。その子もいずれこの世を去る時がかならず訪れる。お子様のいない方も同様にお寺のご本尊に任すことを考えれば良いとのおはなしでした。
(子もお墓は当面親のものというところを理解すると宜しいとのこと。)
親の口からでたお墓の話は親の為のもの。
当面求めようとしているお墓は親たちのためのもので、子のためではないとのお話。 墓所を求める場合はこの辺のところをしっかりと理解して臨まないと墓所問題が頓挫し、精神的、肉体的に被害を被るのは親御さん自身です。(苦労して育てた子供にお墓を建てることについて伺いを立てて、まだ早いとか、寺は嫌だとか、納骨堂・霊園が良いとか、挙句の果てに、「お参りに行かないよ」などと脅されて、人生の最後のお墓作りをあきらめるなんて本末転倒な話です。) 私達は多くの経験をしています。 お墓を求めると子はお参りするものです。 子がご両親の近くに生活しているならなおさらです。 通常このような心配は要らないのです。
女の子しかいないので納骨堂にします??子のいない人も寺が最高です。
その訳は、子どもが高齢で亡くなった後も寺はお守りし続けています。
子供が居ようと居まいとお寺が未来永劫続く限りご遺骨をお守りすと言っているのですから、最近にわかにできた納骨堂に収めるよりはお墓を作ったほうがいいと思います。 お墓参りは通常奥様がしますが、納骨堂にすると、その楽しみを奪うことになります。 独身者、子のいない家庭、子が結婚しない家庭の方こそお寺の墓地が安心なのです。よくわからず誤解している方が多い。
ご葬儀と共にお墓づくりが意味するもの
直葬2割の現実
現在、日本の死亡者の2割は直葬(遺体を直接火葬場に運んでお骨にしてしまう、葬儀関連儀式をしない等)といわれています。
2001年の東京都の調査によると(前回調査は1995年)、葬儀の規模については、「お金は掛かっても人並みの葬儀」は51.2%から40.9%と半数割れになりました。
それと逆に、「親しい人とこじんまりと」が43.2%から増えて51.0%となっています。
以上はご自分以外のご家族の葬儀についてです。
ご自分の葬儀については「親しい人とこじんまりと」が47.2%から59.1%へと増加しました。東京都の調査は一般都民の無作為によると思えるのですが、一般都民の意識は景気低迷の折やら、核家族化の影響、死亡者の高齢化、それに伴う葬儀参列者の減少で規模縮小傾向にあると思われます。
デフレはこの業界にも
これと関連して、お墓の需要は潜在的にまだ十分あると確信していていますが、墓石工事単価の降下も現実になっています。
8月14日NHKのニュースで今年(平成22年度春)の墓石1基あたりの全国平均単価は165.2万円だそうで、一昨年の176.3万円より落ち込んだ旨を報道しました。
理由は景気の低迷と言っていましたが、そこには上記のような要因も含まれていると思います。
お墓は高いものではない。 何代にも渡って使用できるものだから。
葬儀と違い、墓石は何代にも渡って使用できるので、そういう意味では高額な物ではありません。(一時的にお金がでますので高く感じますが。) また、葬儀と違い、墓所は形に残り、残された家族と故人とが心の会話を交わす場所であり、癒しの場所となります。(お仏壇やお位牌のように。)
迷いは、将来の不安と無知から発生します。お骨は海に撒けばよい、木々の間に埋葬すればよいといっても、お墓参りの癒しの場所を否定するとなれば撒いた当人がよほど気丈夫でいないと、将来不安に悩まされるかもしれません。
お墓参りは残された者に至福の時をあたえます。癒し効果も絶大です。なんびともこのお墓参りの権利を奪えない。
日本人の高学歴化に伴い、国民の智慧がいろいろなものを提起、不合理なものを合理にしようと試みるのは当然ですが、心のケアは今も昔も変わりません。
身の丈にあったお墓を作り、ご自分の生前にせっせとお墓参りできるお墓を持つことは、ご本人にとって一番幸福なことであると私は信じます。その幸福を周りの者が奪い取る権利はないのです。
お墓を作ることは無駄だと考えることが、広い意味では、子の親への不敬などとつながり、いろいろな事件の多発につながり、地域の崩壊、ひいては国の崩壊と広がることを懸念します。
お墓は家族の力、地域の力、ひいては国の力を強める効果がある。

◇夕日の沈む大地。
※日没から日の出の間、日本人は祖先や父母の霊は母なる大地に眠ると古代から信じてきた。この美しい大和の土に。
国民一人ひとりの先祖への祭祀が廃れた国家は崩壊への道に突き進む。なぜなら、先祖を否定することは今の自分を否定することになるからである。今の国がどうなってもいいと考えるようになるからである。日本の地域の疲弊・崩壊と、国の疲弊・崩壊を誰が一番喜ぶのでしょうか。 近隣諸国の中には虎視眈々と領土拡大を狙う国もあるのです。世界はまだ一つではありません。
このページを最初に作ったのは1年前。その間これらの危惧は現実化した。 国内では検察官は証拠捏造を起こし、尖閣列島漁船の問題、ロシア大統領の北方領土訪問など頻繁に国境沿いに緊張が走りだした。国がビデオの国民への発表を隠蔽し、海上保安官は義憤に耐えられず衝突事件のビデオ映像をユ-チュ-ブに流し辞職した。中国は領海侵犯の上に謝罪を要求している。追い打ちをかけるように大震災だ。原発事故である。 この美しい日本がいつまでも平和で栄えある国でありますようにとお墓を作り大地の我が祖霊に祈りをあげましょう。
「信仰心」について
江戸期、亡くなった者の顔に似せ観音様や、菩薩様を墓石に彫った。浄土や極楽に行ってもらうために。
信仰心は世界中の民族が持っている。
肉親の死を「悼む」という心は、信仰心のひとつ、お墓をつくるのも信仰心から。 お墓を作らない民族はあまり聞かない。葬送の儀式は民族によっていろいろありますが。 宗教がなくとも信仰心は皆さんがおもちです。
古来からの人間本来が持つ信仰心まで捨ててしまうと、糸の切れた風船のようにさ迷う民族になるかもしれません。世界中の民族は夫々の信仰心を持っています。
困難の時、亡くなった恋人、夫、妻、父母や祖父母に、信ずる宗教のトップに祈願する。
人は、自分ではどうにもならないという事態に遭遇した時、お祈りするものです。古来からご先祖の霊に、仏教徒はお釈迦様に、神道は神様に、クリスチャンはキリストに、マリアに、それぞれの目に見えない偉大な力にすがって安心を得たいのです。カトリックの教えに「無知は死の影、知は蘇生への光なり」というものがあります。信仰も知でしょう。アメリカ人の8割以上はクリスチャンです。
仏教伝来前に日本古来の信仰があった。(卑弥呼の時代以前に)
私達の信仰の対象は、ご先祖の霊を敬う古代の信仰(森、山、川、海、火などの自然神)に仏教が輸入され、神道とともに合体しました。仏教は中道を薦め無益な殺生を嫌い、生き物を尊び大切にする温厚な教えです。(日本人の8割は仏教徒です。)
家がブレるとは、スキができること。家族団結はお墓から、良い家庭の構築を!
さあ、お墓を今の内にお建てになりませんか。将来の為、ブレない家族形成の為に、都内に墓地があるうちに。(月々の分割払いも扱っております。)
「お寺は寄付があるから嫌だ」というお考えの方に。

仏教創始者 釈迦如来(東京・谷中) 一般にはお釈迦様と呼ばれます。
寄付とは一体なにか?
― 菩提寺のメンバーになったことは何を意味するのでしょうか? ―
※寄付とは人から押し付けられてするものではなく自ら進んでする奉納のこと。
良く「寄付を取られた」と言う言葉を耳にします。それは寄付ではありません。なぜなら心から差し上げようという気持ちがそこにはないからです。原因はお寺側にもあるかも知れませんが、気持ちがないなら寄付はしないほうが良いでしょう。今は強制的に寄付を要求するお寺は殆どありません。お寺からさよならできる世の中、お寺も無闇に寄付を檀家さんに強制できませんしお寺も見られています。
※菩提寺のことを檀那寺ともいいます。臓器提供者のことをドナーと言うのをご存知でしょう。語源は中東で起こり、西に到達した時点でドナー、東の日本に到達したものは旦那となったらしい。(中野さんという高僧のお話)
葬儀のお経代などの御布施を見積書にして提示する会社があるらしい。平成23年8月3日だったか、僧侶斡旋会社の社長とお寺を持つ住職との討論があった。 住職いわく金額を提示したらお金のない人がお参りにこなくなる。それはかわいそうだ。御布施は出来る範囲内でいいのではと、あくまではっきりと値段を提示したい会社の社長さんとは平行線のまま討論は終わったとのこと。 仏教会の企画だとNHKTVが言っていたが御布施はその人のできる範囲内でいいと私も思うが、そのようには言わない住職も過去いたみたいだ。 私どもの紹介する寺院には寄付を強要するところはない。
※アメリカのキリスト教会への寄付は日本の比ではない。
アメリカ等西洋の教会に対する寄付は信者の収入の5%(日本の諸費税程)と言われる。西洋に比べ安い年維持費の日本ですが、維 持費以外の強制的な寄付はございません。(葬儀の場合は別途掛かりますが)お寺に癒しをもらい、ご先祖を守ってもらい、人生に困ったときにアドバイスを頂き、子供を教育して頂いたり、有難い法話で癒されたり、それらの感謝としてお布
施する人は一杯います。感謝の集まるお寺はお檀家に良いことをしている寺です。
※お墓の保持はすべて楽になれば良いのかという問題。
「楽」に走る事は「責任を持つ事」と反比例することも含みがちである。
霊園のお墓は保持が楽です。管理費を払っていれば使用権は失いません。しかし、この「楽」ということが、実は曲者(くせもの)なのです。「楽」すなわち「責任がない」ことに通じがちなのです。いずれお墓参りも余りしなくなる可能性、お墓の掃除もしない、草は生え放題、管理費も納めない、追善供養はしないなど「楽」に走りすぎるとこのようなことが起き易いことも事実。 楽な道を選んだまま老齢期を迎えると後を看るものからご自身がそのような冷たい扱いを受けることになります。因果は巡るのです。子には墓参りを教えましょう。
※親以上にあなたを心配する人は少ない、だから親を大切に。自分を心配する人が現れたらその方を大切に。人を大切にする前向きの行動は有縁です。行動した分、人からの協力を得られ無縁社会には入りません。
お墓参りを余りしない若者には菩提寺の住職は心配して言うかもしれません。「ちゃんとお参りしてご先祖を大切にしてね」と。住職に限らず、あなたに真剣に 言って下さる人のほうがありがたいのですよ。だまって見ている人よりは。 冷静に考えれば分かります。 世の中一番心配するのはあなたの親です。もし親以 上に口うるさく自分に言ってくれる人がいるのでしたら、恨むのでなく逆に感謝しましょう。(親以上に自分を心配して下さるのですから。恋人か、良き友か、 学校の先生か、職場の同僚か、先輩か、あなたの将来がとても気になる方です。私心無く言って下さる人は本物です。人生に於いてかけがえのない方ですので大切にしましょう。)

昔ほどの責任はありませんが菩提寺(旦那寺)を持つということは、お寺に対してある種のスポンサーになったことも意味します。お寺の墓地を求めた場合、霊園とはまた違って「お墓参りしなければいけないな」という責任感というか、そんな気持ちが強くなるみたいです。私はこれは良いことだと思います。
人々の中で責任感を持って、仕事も私生活もやり通すことのできる人物を目指すなら、立派な住職のいるお寺の墓地が良いでしょう。住職は知恵袋ですから。相談にのってもらえます。特に会社などを経営している方には向いています。 我がご先祖の追善供養をお任せする僧侶を我が家のお墓近くに常駐させている訳ですから霊園よりも贅沢には違い有りません。 昔の戦国武将も知恵袋を和尚に求めました。

都内の現存するお寺のスポンサーは、昔は全国の大名でした。今ならさしずめ県知事さんでしょうか。このお殿様方がお寺を守っていたのです。「殿、襖が古くなりました」「畳替えをしようと思います。」「瓦をふき替えたいのですが」とお寺から頼まれ、気持ちよく受けてきた歴史があります。
(昨今はお檀家さんが均等に1万円内外の年間管理費を払い、維持管理しているお寺がほとんど。)訳のない寄付等はまずありません。この寺は早稲田大学そばにあり、スポンサーは大岡越前守の弟や静岡の大名です。まだ少し空き墓地があります。ご紹介できます。)
※お寺に墓地を持っている方も様々。
お檀家には母子家庭の方もいれば、大成功者もいれば、普通の方もいます。びっくりするような寄付を募るお寺は、もともと紹介しておりませんのでご安心ください。
昔のお殿様のように、大成功者ご自身が進んで寄付する方もたまにはおられると思います。びっくりするような額を。でもそれは私どものことではありません。できる人ができる事をやったまでです。


三月の彼岸過ぎ、御殿場の富士霊園に行きました。広大な霊園にはほとんど人は来ておらず、お花はほとんどあげられていません。ところが弊社のそばの寺院のお墓は殆どお参りがなされ、一軒一軒、花が活けられており、楽園のような花盛り。もう一方の富士霊園はさびしい静寂のまま。そこが、霊園とお寺の根本的違いだと私は気付いたのでした。
お寺はご自身で選ぶ時代になってきているのです。信仰に厚く善良な住職にめぐり合うことは大切なことです。
「墓地の種類」とは何ですか?
墓地にはいくつかの種類があります。霊園と寺院墓地という分け方です。
(公立墓地、私立墓地という分け方もあります。)
寺院とは何か

◯源氏の鎌倉幕府。円覚寺は執権北条時宗の菩提寺(元寇や日蓮・親鸞存命の頃)
寺院とは公益事業を行う法人格です。各々の信仰で人々を救済する団体。宗教法人法に則り、包括団体の場合は本山は他府県に有る場合が多い。
寺院には墓を持たない観光寺、祈祷寺、檀家を持つ一般の寺などがある。
宗旨・宗派がざっと次のようにあり、ご本尊も変わってくる。
禅宗系 臨済宗 本山・建長寺、妙心寺、平林寺など 本尊:釈迦如来
曹洞宗 本山・鶴見総持寺、福井永平寺 本尊:釈迦如来
黄檗宗 本山・京都宇治万福寺 本尊:釈迦如来、観音様等
日蓮宗 本山・身延久遠寺 本尊:釈迦如来、お曼荼羅
真言宗 本山・智積院、長谷寺 本尊:大日如来・不動明王・薬師如来等
浄土系 浄土宗 本山・京都知恩院 本尊:阿弥陀如来
浄土真宗 本山・西本願寺(本願寺派) 本尊:阿弥陀如来
浄土真宗 本山・東本願寺(大谷派) 本尊:阿弥陀如来
新興宗教 創価学会、立正佼成会、霊友会、幸福の科学 天理教 阿含宗など
以上が現在の主流となっている日本仏教の宗旨・宗派である。
奈良には鑑真和尚が伝えた古代の仏教がある。
(鑑真和尚は中国の高僧、大和朝廷が御願して来日した。日本のお坊さんに免許皆伝を与える先生として)
霊園とは何か

霊園とは、民間霊園・お墓と法事をする関連の施設で営利団体が多い。本来は宗派を問わないところが霊園の霊園たるゆえん。(私立の場合は、遠距離のところに多いためか葬儀には余り利用しません。したがってご葬儀・法事はご自宅近くで行い、御納骨・お参りは霊園でということが多い。)お求めの霊園施設への距離や充実度によって異なります。
◎都会で、寺院が境内地の一部を霊園と称して売り出しているところがある。これはちょっとおかしな話になりかねない。お寺は普通宗教不問にするべきお墓を持っていないからである。公取等まだ関与していないが、表示等に問題があると言われかねない。一般人が惑わされる場合があるので注意を要する。 求めたあと、宗教不問ではありませんよと平気に言い出した自称霊園も現実にあった。それはもめますよ。 寺も寺、業者も業者で儲かればいいという考えではお寺の信仰は模範にならない。人々を救ってこそのお寺であるから。 そう思う。
都立霊園とは何か(東京都が管理運営に当たっている霊園)

◯都立谷中霊園風景(百年以上の歴史は落ち着いた雰囲気を醸しだしています。足の便は都内一。JR山手線日暮里駅徒歩0分 数年前から公募再開。23区内には都立谷中霊園・青山霊園・雑司が谷霊園・染井霊園、松戸の八柱霊園、多磨霊園、小平霊園、八王子霊園の八霊園があり、谷中・青山・多磨・小平・八王子・八柱の6霊園が毎年使用者を少ない区画ながらも募集しています。毎年7月頃
霊園に来られる住職はお寺をお持ちの住職とは限らない
霊園を求めた場合、斎場等に葬祭業者は一時的に僧侶をお呼びしますが、修行を積まれたお坊さんが来られるとは限りません。弊社でご紹介します寺院の住職は、修行を積まれた方ばかりで、葬儀のお経もありがたいし、オーラもあります。施設を含め寺全体の最高責任者ですので。
お寺はすべてワンストップで法事ができ(葬儀を含め)便利でとても安心です。

ご紹介の寺院はご葬儀からご埋葬、ご法事までワンストップでトータルにできる施設を持っています。(非常に便利で安心です。)
(お通夜から、告別式、ご納骨式、49日法要、1周忌法要、3回忌法要すべてワンストップで信徒会館を完備しています。)
生前に建てるお墓は不吉?
「生前に建てるとすぐ死んでしまう」などの迷信を信じる人がいます。
「あの人はお墓を買ったらすぐ亡くなったのよ」
なんて、お墓と詳しくは知らない買った方の死を根拠もなく簡単に結び付けます。 求めた人は、人知れず先のことを考え、お墓を求めているのです。
人の寿命は他人からはなかなかわからない
人には人の寿命があり、求めた後すぐ亡くなる人も中にはいます。 その方にとってはお墓の準備がぎりぎり間に合ったのです。
何ごとも根拠なき無責任な言葉は信じないほうが良いでしょう。備えあれば患(うれ)えなしです。
なぜお元気なうちに人はお墓を建てるのでしょうか?

◎この方、葛飾区から住まい近くの早稲田の寺院に転寺した。奥様や子供さんがお参りしやすいようにと。
― 私達の将来を予測する能力 ―
お墓は葬儀と違い、生前に求めることができます。
それは、予測能力が私達人間だけに備わっているからです。
将来に備え、去り行く時に残された者の心の動揺を和らげます。
ご本人にとっても心休まり、これからの余生をより良く生きるうえで力となるからでしょう。
ご自宅の近くにお墓を得ることは、逝く人も残される方にとっても、本当に安心なのです。
葬儀やお墓は本当に要らない? 本音は誰だって大切に祀ってもらいたいはず。

墓石右の赤文字は施主がご存命でお元気であることを意味します。
(エピソード04元空母赤城から奇跡的に生還した方のお墓)
東大の島田教授が書いた「葬式は要らない」などと銘打った本が好評を博したという。よく読んでみたらこの先生も懇ろに弔ってもらいたいような内容であった。 この本のタイトルは出版社の売り込み用のタイトルのようだ。弔いも、葬儀も、建墓もけじめ。けじめのない人よりあった人のほうが良い。何も東大の教授の言う言葉が全て正しいとは限らない。上の写真の墓石のように大大先輩はお墓はお造りしているのだから。(唯物的の人はお墓には興味を示さないかも知れない、お墓はハートフルだから。)
哀悼の意をお伝えするのは古来からの習わし(世界共通)
葬儀も、お墓の建立も、お墓参りも、ご法事もすべて「悼(イタ)む」心の現われです。
世界中の人々が太古の昔から行ってきた心の癒し、支えであり、これからも生きる者にとって大切な習慣です。
― 家庭の崩壊はお墓や仏壇・神社仏閣でご先祖供養を怠る習慣から始まる ―
平然として供養できる立場にある人が供養しないのは、家族の崩壊を意味します。(供養したい心はあるのに、身体的、経済的理由などでできない人はお気の毒ですが、必ず訪れる良い機会を待ちましょう。宗教や職業の違い、年収の差などと家族を弔う思いやりの心とは別のものです。)

※余震続く4月下旬、都内の神社。若き女性は一心不乱にお祈りしていた。
― 大人が見本を示しましょう。子供のお墓参りや親孝行は見て育つもの ―
「お墓を含む祭祀が廃れると家が荒れる」とは教育者や有識者の意見です。正常な家庭において、「親や兄弟など関係ない」などと口にだす子供は、道を外す確率が高くなるでしょう。親には、子供に非難されるような道を歩まず、正しい道を子供に教える義務があります。
(不幸にして道を外した方も考えを改め、ご先祖を大切し、子供あるいは親を大切にする道を回復することもできるのが人間なのです。)
― 日本の将来のため良い後継者となる子供たちを教え、育てましょう ―
お墓を建て、父母や祖父母、ご先祖を敬い、命の大切さを学び、ご先祖の加護を願う子供達は夫々の道にまい進し、社会に貢献をなす人となる確率が高まるでしょう。
― 費用の大小ではない、子孫に生きる指針を与え、関係者に墓参りのチャンスを与え、日常化への出発点です ―
お墓や葬儀は費用の大小ではありません。家族を思いやる心の優しさから発し、建てた方が癒され安心を得るのです。 また、知らないうちに子供達や孫達には生きる指針を与えます。 故人が各界で活躍された方に於いては生前の関係者にお墓参りの機会を与え、心の荷を降ろさせ喜びを与えます。ですから、お墓も葬儀も必要なのです。(葬儀は心の区切り、お墓は日常化へのスタートです。)









